切迫早産診断から一週間後

切迫早産と言われてから一週間後の診察。

一週間は、安静の度合いがわからずにできるだけ寝転んでた。

できるだけ安静に って言われて困った。

ネットで色々みてたら座るのも重力がかかって良くないって書いてあるものもあって、一番の策を講じるべくできるだけ寝転ぶことにしてた。

そしたら先生に、それが一番ですって一週間後の検診で言われた。

、、じゃあ最初からそう説明して、、ってまた怒りがこみ上げる。

そして、頸管の長さは、21mm。

ほぼ変わってないですね、って。

安静にしてたからですね、良かった良かった、って。

全然良くないよ(怒)

うちで入院して、もし産まれてしまったらNICUのある病院に受け入れてもらわないととダメだけど、受け入れてもらえない場合があるから今から転院することをすすめられる。

こちらからお願いしたいです。

不信感しかないから。

で、紹介された2つの病院のうち、外来ですぐにみてもらえる病院へ紹介状を書いてもらう。

金曜日だったから、週明け朝一に行くことに。

週末はまた自宅安静。

切迫診断からの1週間

良く言えば、このタイミングでわかって本当に良かった。

性別が経腹エコーでわかってたら、経膣エコーしなかったと思う。

出血とか、下手したら破水とか、どうしようもなくなってから頸管が短いってことがわかってたかもしれない。

お腹の赤ちゃんの、奇跡の直立体勢のおかげ。ありがとう。


欲を言えば、前回の検診で診ててほしかったけど。笑


自分たちのやるべきことは分かってきて心の整理ができても、早く産まれた赤ちゃんに障害が残ってしまったらっていう不安はどうしようもなくて、それが私の体の問題っていうのが本当に申し訳なくて。

でも、円錐切除の手術をしたのも、その時に入口を縛る手術をしなかったのも、最善だと思われる事を自分で判断したこと。

考えることを疎かにしたり、逃げたり、投げ出した訳じゃない。

って自分に言い聞かせて、申し訳ないって気持ちを落ち着かせる。


そんな1週間でした。

本当に不安で長かった。

28週以前に産まれたら、生きることは難しいって言われていたから。

次に病院に行った時に、この子は生きられませんって言われるかもしれなかったから。


夫とはこの不安についてはほとんど話さなかった。

話さなくても不安なことくらいお互いわかるし、2人で答えのでないマイナスの会話してもね。

体調の良し悪しとか、病院の文句とかは散々言ってたけど。笑


夫はいざという時にも冷静に正しい判断ができる人。

人任せにしたり、逃げたりしない人。

一緒に病院に行けて、話を聞けて、本当に心強かった。

優しい言葉をかけたりするのは苦手だけど。笑


さて、、病院なんて言われるかな。。

クリニックへの不信感と悲しい気持ち

早産の知識もなく、子宮頸管22mmがどの程度かもわからないまま、ただ早産になった場合の胎児へのリスクを説明された診察後。

うちでは35週未満の子は出産できないと言われた。

1週間様子をみて、他の病院を紹介することになると。


できるだけ安静にって?

そもそも、円錐切除してたなら初めから子宮頸管が人より短くてあまり動いたらだめだったのでは?

安定期に入ったら軽い運動してって言ってたから、私ウォーキングしてましたけど。

それに、前回の検診ではお腹のエコーしかみてないよね、、

今日もお腹のエコーで性別がわかってたら、経膣エコーしなかったのでは?!(その可能性が高いと思う)


手術の経過などすべて診てもらってたから、家から少し遠いけどこのクリニックで妊婦健診を受けていたし、出産もしようと思ってた。

信頼していたのに、不信感しかなくなった。


調べてみたら、22週で22mmってかなり危険。

安静にって、トイレや食事以外は座っているのもよくないくらい。

ほぼ寝たきり。

赤ちゃんの重みで入口が下がってきてしまうから。

、、それを先生に言ってほしかった。

安静レベルを。


夫と2人で、1週間できるだけ動かずに過ごそう、今できることはそれしかないって言いながら家に帰りました。

1週間後から入院の可能性もあるなぁと思いながら。


帰ってから1週間は家事も、ごはんの用意も、全部夫がしてくれた。

私はできるだけ横になる。

夫は家で仕事をしてるから、とても助かった。


でも、最初の方で「限界がある」って言ってたのを聞いて、まぁ現実問題それはそうだと思うけど、なんだか悲しい気持ちにもなった。

私は限界がきてもどうすることもできないけど、って思って。

知識のなかった早産を調べれば調べるほど不安になって、今できることをするしかないんだけど、できることって横になっていることだけで。

家事だって、やりたくてもできないのに。


一度不安で泣いてた時に、考えすぎたらだめって言われて、そんなことわかってる。って思いながら泣いてた。

泣いててもなんて声かけたらいいのかわからないよね。

私も別に言ってほしいことがある訳じゃないし。

夫の前で泣きたかったのかなって思うと、それはそれで自分勝手だなって思う。

2人ともしんどいのに。

大事なのは思いやり。 

悲しい気持ちになったのは、私が思いやりに欠けてたから。


自分が入院せずにできるだけ家にいたい、って思ったから限界があるっていう夫に悲しい気持ちになってたけど、大事なのはお腹の赤ちゃんが無事に産まれてくること。

その為に私が安全な場所にいること。

夫が少しでも安心して仕事に励めること。

それぞれができることを精一杯やること。


そう思ったら、入院が1番かなって思えた。

長い人生の何ヶ月くらい、って思えた。

ちょっと急なことで、自分がかわいそうになってたみたい。


これからたくさんのことを乗り越える為に、一喜一憂しないことが目標。




切迫早産宣告

妊婦生活

22週間0日


6ヶ月の中盤。

1ヶ月毎になった妊婦検診のため、夫と一緒に地元のレディースクリニックへ。 

5ヶ月の検診では足が背中側にあって性別わからなかったから、今月はわかるかなーってワクワク。

先月の検診まではなんの問題もなく、至って順調。


この日もお腹のエコーみて、くっきり手足もみえて、元気に動いてる。

「足が下にあるから」って経膣エコーで性別みてみますね、って。

、、予想通りの男の子。

どちらでもうれしいよ。

性別わかるとますます実感湧くなぁ

と思ってたら、先生がエコーみながらあたふたし始める。。


子宮から出口までの頸管が25mmしかない、まだ22週、これは大変だ、早産になる可能性が高い、と。

切迫早産宣告。

早産。て言われても。



妊娠が判明する1年前、子宮頸癌になる手前の高度異形成がわかり、円錐切除の手術をしていた。

頸管にできた癌のもとをレーザーで円錐型に切り取る手術。

この時の診察をしてもらっていたのもレディースクリニック。

レーザー手術はクリニックではできないとのことで、近所の市立病院。

手術の前に円錐切除をすると早産になるリスクがあるって言われたけど、取らなければ癌になる可能性があるし取る選択肢しかなかった。

この時子宮の入口を縛る手術はしなかった。

しなくても、  ほとんどの方は   早産にならずに産んでるから必要ないって。

手術後は経過も全て、このクリニックで診てもらってた。


で、術後3ヶ月くらいで傷跡もしっかりしてるし、妊娠しても大丈夫って言われた。

手術前からすぐにでも授かりたかったけどなかなかできず。

私が検査に行っている月は毎月排卵しているし、生理不順もないし、夫の問題もほぼなかった。

2年くらい経ってたし、不妊治療、、かな、、と思いながら過ごしていた矢先、術後の経過観察の為クリニックにいった時に妊娠判明。

タイミングの問題だけなのか、、2年長かった。


つわりも落ち着き、5ヶ月初めの検診でも順調と言われ、注意するを先生に聞いても、体重の増加は1ヶ月2kgまで、とだけ。 軽く体も動かしてねって。

本当はマタニティスイミングがしたかったけど、通えるところになくて、ヨガを探そう、と思いながらウォーキングを始めた。

週3,4日、1日45分くらい。

友達と会ったり、買い物へ行ったり、カラーやネイルへ行ったり。

アクティブな妊婦生活を送り、さて6ヶ月はどこかゆったりできるところへ旅行にでも行きたいな。と思って迎えた6ヶ月の検診での出来事でした。



すぐに、できるだけ安静にして1週間後もう一度来てください。と言われ、できるだけってどれくらいですか?と聞いても、できるだけ。

現状の説明や原因や現段階での具体的な対処法、ではなく、早産になった場合の生きられる確率や障害がのこる確率について説明される。

うちで取り上げられるのは35週を過ぎた子だけです、と。


ハテナでいっぱいになって終わった診察。

質問しようにもわからないことが多すぎて。 

夫が一緒だったのがせめてもの救い。